第五回目は、セオリーにとらわれない提案と、オンリーワンをアピールすることでお客様の心を掴んだ、女性店長のお話です。当時、若手の有望デザイナーを擁し、飛ぶ鳥を落とす勢いのあったあるラグジュアリーブランドの大ファンで、新作が入るたびに店舗に足を運んでいました。 そのお店が出来て間もない頃、個性的なトレンチコートに目が止まりました。ラインが美しく、素材も縫製も素晴らしいものであり、かつて見たことのないほどの素敵なコートにときめきが抑えられず、女性販売員のBさんに試着をお願いしました。Bさんが手早くバックストックから持ってきてくれたコートを羽織ると、美しい背中のシルエットが印象的で、まるで変身したかのような気分を味わえました。笑顔のBさんに「本当によくお似合いです!」と声をかけられ、どうしようかなとタグ(価格)を見ると、今まで購入したことのない、大変高額なものでした。悩んでいると「先ほど確認しましたが、お客様のサイズですと日本にあと1着だけです。このコートはパリコレクションでも使用した、コレクションラインの貴重な1着です。お似合いになる方に着ていただきたいです。」とBさん。私はすっかり舞い上がってしまい、取り寄せをお願いしました。数日後に店舗で入荷されたコートに袖を通すと、サイズもぴったりで想像通りでした。高まる気持ちを抑えきれず「では、これをお願いします!」と購入の意思を伝えました。ソファに座っているとBさんに「実はもう一つお見せしたいものがあるのですが、お持ちしてよろしいですか。」と声をかけられました。他に頼んでいるものはありませんでしたが、まあ良いかなと思い待っていると、奥からBさんが別のコートを大事そうに持ってきました。カバーを取ると、見るからに素材の良さそうな美しい質感のチェスターコートです。あっけにとられ「お願いしていましたっけ?」と言うと、「以前来店された際に、チェスターコートを探していると仰っていましたよね。お似合いになりそうな素敵なコートがあったので、一緒に取り寄せてしまいました。サイズもぴったりだと思います。」と悪戯っぽく笑いました。促されるまま試着をすると、先ほどのコートとは全く別の、落ち着いた中にも品のある、これまた美しいコートでした。 高揚感に浸りながら恐る恐るタグを見ると、先程のトレンチコートよりもさらに高い値段です。いやいや、さすがに贅沢が過ぎると思い「確かにチェスターコートは欲しかったのですが、トレンチコートを買ってしまいましたし・・・。」とやんわりとお断りしました。それでもBさんは怯むことなく「確かにいいお値段です。でもご存時のように、お洋服というのは毎年デザインが変わりますので、来年同じようにお好みのお洋服に巡り会えるかは分からないです。ある意味、一期一会です。どうでしょう、お取り置きしておきますので、少しお考えになってみませんか。」と言いました。こう言われるとなかなか断れず「少し考えさせてください。」と伝え、その日はトレンチコーチだけを購入してお店を後にしました。 1週間ほど経ち、購入は悩んでいましたがもう一度試着をしてみたかったので、仕事帰りにお店に寄りました。やはり他のコートにはない、独特の色気を感じる美しいコートです。思案しているとBさんから「普通はお直しが入るものですが、お客様は直しが全くいらないです。日本のお客様には珍しいことで、まるでお客様のためのコートのようですし、デザイナーの意図したラインをそのまま楽しむことができますよ。」と言われました。すると私の抱えていた疑問や不安が消え、欲しいという気持ちが高まり、確信に変わり、とうとう「では、これをお願いします。」とBさんに伝えていました・・。短期間に高価なコートを2着も購入。欲しいとは思ったものの、2着も購入するとは想像もしていませんでした。普通の販売員であればコート1着を販売すればそれで満足。優秀な販売員でも、インナーやパンツなどの関連販売でプラス1着、2着を狙うものでしょう。しかしこのBさんはセオリーにとらわれず、私が本当に欲しいものを見抜き、勇気をもってコート2着という大胆な提案をしました。北海道は冬の厳しい寒さと長さから、アウターにお金をかけて質の良い物を購入する傾向がありますが、それを踏まえても意外性と驚きのある提案でした。会計を済ませた後に「今後ともよろしくお願いいたします」とBさんからいただいた名刺には「店長」の文字がありました。その後Bさんが辞めるまでのしばらくの間、そのブランドでの買い物を楽しみました。 またある日、そのお店で買い物を楽しんでいると、背が高く華やかな雰囲気の方が店内に入ってきました。明らかにそのお客様の方が格上だと感じたため、Bさんに小声で「今日はもう帰るので、あちらのお客様に…。」と伝えて席を立ちました。するとそのお客様が「お気遣いはなさらず。ゆっくりお買い物をしてください。」と状況を察して私を気遣ってくれました。Bさんからも「先にいらしていたのですから、ご覧になってください。」と促されましたが「今日はもう買い物が済みましたので帰ります。」、お客様には「お気遣いありがとうございます。今日はこれで失礼します。」と伝えました。すると、その方はお連れの男性と一緒に笑顔で会釈し「お気遣いさせてしまい、本当にすみません。」とおっしゃったのです。 私は、平等な扱いをしてくださるスタッフと、礼儀正しく優しいお客様の心配りに「いいお店で買い物が出来ているなあ・・・。」と、心地よい満足感と共に気持ちよくお店を去りました。ちなみにそのお客様は、現在話題沸騰中の某監督とその後輩の方です。その後も何度かお目にかかることがありましたが、全く威張ることもなく、周りに気遣いの出来るとてもスマートな方です。良いスタッフがいる良いお店には、良いお客様が集まってくるものだと改めて感じた出来事でした。 -----※投稿いただいた内容をプライバシー、読みやすさの観点から一部編集させていただいております。※コラム中の写真は、イメージ写真です。※文中に出てくる登場人物は、仮名を使用しています。