JASPAでは、JASPAセールスプロフェッショナル資格制度を設立し、日々お客様の感動を生み出せる販売員の育成に力を注いでいます。その資格試験では、販売員の接客を厳しく審査するミステリーショッピング調査員がいます。このシリーズコラムでは、ミステリーショッピング調査員が出会った心を動かされるプロフェッショナルの仕事について、ご紹介していきます。第三回目は、震災翌年の3月11日に乗った飛行機での、機長のアナウンスのお話です。 2011年3月11日の東日本大震災が起こった際、私は福島県郡山市に住んでいました。あの日の午後、昼食を済ませて一息ついたところで、巨大地震に遭遇しました。かつて経験した事のない、不安と恐怖の一夜を一睡も出来ずに過ごしました。その後、福島空港から急遽飛ぶことになった臨時便で、地元の札幌に避難することにしました。空港の待合室のテレビから流れた福島第一原発爆発の映像、機内の窓から原発の爆発後に立ち昇る煙、気仙沼や石巻が炎と黒煙に包まれている景色、それを横目に見つつ客室内で誰も一言も言葉を発しない異様な雰囲気などは、今でも忘れられません。 ほどなく私は福島の会社を辞め、地元の札幌に戻りました。 震災から1年後、亡くなられた方の追悼と当時勤務していた会社の後輩達に会うため、郡山市を訪ねました。福島県に向かうため新千歳空港から乗った飛行機の機内でのことです。福島空港に到着するため、降下体勢に入る前に機長からのアナウンスが入りました。いつも通りのアナウンスに景色を眺めながら耳を傾けていたところ、機長は以下のような話をしました。 「昨年の3月11日に発生した東日本大震災から、今日で1年になります。亡くなられた皆様へ心より哀悼の意を表しますと共に、心よりご冥福をお祈り申し上げます。また、被災された皆様のご心痛やご苦労はいかばかりであったかと思います。また、今日という特別な日に福島行きの便にお乗りの皆様は、何かしらの形で福島とのご縁のある方々かと存じます。きっと今日という日に特別な思いを持ってお乗りいただいていることと思います。そのお手伝いをさせていただけることを、誇りに思うと共に、まだまだ復興まで時間がかかると思いますが、航空事業を通じて復興に貢献して参りたいと思います。空港到着後、皆様はそれぞれの目的地に向かわれることと思いますが、無事に到着され、大切な時間をお過ごしいただければと思います。」 機長のアナウンスが終わった後、誰からともなく始まった拍手が機内中に起こりました。私も拍手をしながら、涙を堪えることが出来ませんでした。 震災時、本来は乗り入れていない、しかも異常事態が発生している原発から50㎞も離れていない空港へ避難のための臨時便を飛ばしてくれ、1年後の節目の日にこのようなアナウンスをする。この航空会社の企業理念「”いつもお客様に寄り添う”気持ち”心の翼”」は上辺だけのものではなく、過酷な状況においても時が経っても変わることがなかったのです。 私はこの機長のアナウンスに、人に寄り添う優しさや思いやりを強く感じました。この印象深い出来事以来、飛行機を利用する際はこの航空会社を選んでいます。我が身に迫る原発事故の危機や、震災と以降の体験から深く傷ついた心の、両面から助けていただいたご恩を、利用することで少しでもお返し出来ればと考えているからです。 提供されるサービスが、上辺だけの言葉や形だけのものではなく、「法人」たる企業と「人」の価値観が深いところで共有され一体となった、純粋な真心のこもったものであった時、人の心を大きく動かし、強い信頼に繋がるということを実体験を通して感じた、私にとって生涯忘れることのできない出来事です。 -----※投稿いただいた内容をプライバシー、読みやすさの観点から一部編集させていただいております。※コラム中の写真は、イメージ写真です。