相良貴子さんLVMHファッション・グループ・ジャパン株式会社 ジバンシィジャパン リテール トレーニング マネージャー プロフィール1999年に大手ファストファッションに販売員として入社。25歳で銀座店店長、新宿店店長を経て、日本で初めて店長兼トレーナーとなり、店長候補の育成、中国1号店店長の育成、中国1号店の出店のためのサポートに携わる。帰国後、日本のエリアマネージャーとなり、国内の出店と複数店舗の運営、人材育成の評価指標を人事と協働での作成などに関わる。 その後、出産を経て、マークジェイコブスジャパン株式会社へ転職。これまでの経験を活かしながらも、リテールトレーナーとして人材育成に特化し、約300名向けの研修でクラスルーム型のトレーニングなどを実施。 LVMHグループのグループ内異動の制度により、クチュールブランドであるジバンシィジャパンヘ異動し、新たにクリエイティブ・ディレクターに就任したマシュー・M・ウィリアムズの下でブランドイメージの変化に応じたリテールトレーニングを担当。クラスルーム型だけでなく、インストアトレーニングに注力し、現在に至る。無我夢中で働いていた自分に訪れた、予想外の「心境」そもそも、私が転職を考えたきっかけが「育児」なんです。 ファストファッション時代には、店長からエリアマネージャーに昇進し、仕事も張り切っていました。若かったし、無我夢中で働いて、とても楽しかったです。 なので産休をいただく時も、「3か月後には復帰します!」なんて言っていたのですが……。実際に子どもを産んでみると、そんなに早く復帰する気にはなれませんでした(笑)。子どもが生まれてみないと分からないことって、こんなにあるんだなぁと思いましたね。 そこで会社に「復帰をもう少し先に延ばさせてください」と相談をしたところ、「出来るだけ早く戻ってきて欲しい」と言われたのですが1年待っていただいて……。当初はエリアマネージャーでの復帰を求められたのですが、時短勤務の前例がなかったこともあり、「店長に戻って、なるべく早く帰れるお店に勤務する」ということになりました。 平日にお休みもいただけたので、保育園には週3日預けるだけで済んだことは良かったと思いますし、主人と交代で送迎できたことも安心して働けることにはつながりました。 モチベーションは「やりたいこと」から「ありたい姿」へ でも、いろいろな事がありましたね。私は帝王切開だったのですが、復帰後すぐに「術後癒着症」で突然目の前がグルグルして倒れてしまい、1週間ほど入院してしまいました。その後はよく、めまいがするようになりましたね。 ある日、親しくなったお客様に「産後は、辛いことが多いわよね。頑張ってね」と声を掛けていただいた時はとてもうれしくて……。だから私は今、幼い子を育てながら働いているスタッフには、この時のお客様のように声を掛けるようにしています。 そして子どもが3歳になった頃には、「もっと子どもと過ごす時間を増やせる職場に移りたい」と考えるようになりました。仕事は年を取ってからでも出来ますが、子どもと過ごす時間は「今、その時」しかありませんから。 仕事と人生に対する考え方は、「母親」になって本当に変わりましたね。言葉にすると微妙なんですが、以前は「自分のやりたいこと」を優先させてきたのですが、子どもが生まれてからは「自分がありたい姿」に必要なことを実践するようになりました。 だから、13年のキャリアを捨てて、LVMHグループで「ゼロから」に近いリスタートを選ぶことが出来たのだと思います。 こうやって仕事をする立場も、人生に対する考え方も変わりましたが、それでも新卒でこの業界に入った時から、まったく変わっていないこともあるんです。それが、「接客」に対する考え方です。 (つづく)